2番目にやってきたのはベティ稲田。昭和8年、20歳の時に来日。
愛の信号(昭和10年)
川畑文子は日本に2-3年程しかいなかったが、ベティ稲田は長い間、日本で活躍していた。
フラの踊り(昭和15年)
戦時中はディック・ミネと満州へ慰問公演を行っている。ディック・ミネが白系ロシア人女性と奉天のホテルのベッドの上にいる
ところにベティー・イナダと李香蘭こと山口淑子がおしかけた逸話もある。
チューチューチュー
戦後はおなじ二世のバッキー白片と組んでハワイアンを中心にうたった。
恋の占い
おゝワンダフル
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