安藤さんのこと

大学の先輩で南極の先輩でもある安藤久男さんが昨年9月に88歳で亡くなった。安藤さんは学生の頃、南極観測隊用に太郎次郎等の犬ぞりの訓練に明け暮れていたことは知られている。観測隊に参加後、開発局を退職され、水文地質研究所を設立された。ほとんどの仕事が海外だったので、どんな仕事をしたのかはあまり知られていない。葬儀はでコロナ過で家族葬だった。49日が過ぎたのを見計らって、弔問に訪れた。奥様は一人暮らしで、子供はすべて道外在住。この奥様と合う機会は少なくこれまで数回しかない。この奥様の弟君と大学が同期で学生の頃、道北の実家に泊めていただいたことがあって、そこで初めて会った記憶がある。1時間ほどで退所する予定だったが、奥様は詩人らしく話の切り口が斬新で、話がうまくてついつい2時間以上聞き入ってしまった。海外での生活のこと、仕事のこと、家族のこと、子育てのこと、趣味のことなどなど。コーヒーと手製のヨーグルトをご馳走になり、お土産にビールまで頂き、3冊目の詩集をお借りしてきた。ペンネームは北さち子。
安藤さんの海外での仕事について聞くと、伏見さんが書いているというので、後日調べると、かなりの国で仕事をされているのが判った。
(出典:https://glacierworld.net/travel/aach-memorandum/aach-10-andoh/)
インドネシア(1975‐1976 地下水)、フィリピン(1976‐1978 水文地質)、オマーン(1981‐1982 地下水)、タイ(1983.2‐1983.12 地下水)、パキスタン(1984.5‐1984.12 ダム地質)、ザンビア(1985.2‐1985.5 地下水)、マダガスカル(1986.2‐1986.4 地下水)、ボリビア(1986.9‐1986.12 水資源)、ザイール(1987.1‐1987.5 水利用)、フィリピン(1987.9‐1988.1 水文地質)、ナイジェリア(1988.2‐1988.5 飲料水)、フィリピン(1988.7‐1988.11)、コスタリカ(1989.1‐1989.2 ダム)、フィリピン(1989.4‐1989.6 水道)、ナイジェリア(1989.7‐1989.9)、タイ(1989.11‐1989.12 農業水利)、タイ(1990.1‐1991.7 地下水)、 ネパール・タライ(1991.10‐1992.3 地下水)、ネパール・タライ(1992.5‐1993.5 地下水)、ネパール・タライ(1993.8‐1994.3 地下水)、タンザニア(1994.11‐1995.3 水資源)、タンザニア(1995.6‐1995.10 水資源)、タンザニア(1996.1‐1996.2 水資源)、ネパール・トリブバン大学(1996.3‐1998・2 環境地質)、ブルキナファソ(1998.4‐1998.6)、ジンバブエ・マラウイ・モザンビーク(1999.3‐1999.7 水文地質)、 フィリピン(2000.7‐2000.11 地下水)、フィリピン(2001.4‐2001.8 地下水)、ネパール・国際山岳博物館(2002.4‐2004.4 学芸員)

私も何度か安藤さんに聞いたことがあったが、こんなにあちこちで仕事をされているとは知らなかった。
私は水文地質研究所解散時に多数の文献、jicaのレポート等を車2台分譲り受けた。残った書類は古本屋に売ったが、地質図幅だけは高値で売れたらしい。私も多数持っているが地質図幅は今では公開されているので、ほぼ無価値になっている。良いときに売れてよかった。一緒に譲り受けた実体鏡やその架台は私ももう使う機会がなくなったので、以前居た会社で使ってもうことにした。
安藤さん。いろいろお世話になりました。ありがとうございました。

この記事へのコメント

2022年01月03日 20:54
義兄の追悼記事ありがとうございます。義兄が中東も含めアジア地域を広く飛び回っていたのは知っていましたが、こんなに様々な国々に行っていたとは・・・驚いています。伏見さんのHPを訪れ、忘れていたことを思い出させていただきました。
それより何より、貴男が南極帰りに我が家に現れ、マホービンに入った南極の氷でウィスキーを美味しく飲んだことが最高に懐かしく思い出されます (^-^)v

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