台湾の女性シンガーソングライター、イリー・カオルー
イリー・カオルー Ilid Kaolo〈あなたをさがして Longing〉Official MV
イリー・カオルー(Ilid Kaolo, 以莉.高露, イリッ・カオロ)は台湾・花蓮県鳳林鎮の原住民族アミ族(阿美族)の出身。7才から台北で育った。結婚後は夫で音楽家/プロデューサーのチェン・グァンユー(陳冠宇)とともに故郷の花蓮県に移り住み、農業を営む傍ら、母語であるアミ語と中国語で作詞作曲を行っている。ニックネームは「小美(シャオミー)」。
2011年にデビューアルバム『My Carefree Life(輕快的生活)』で台湾の栄誉ある音楽賞、金曲獎で最優秀新人賞、原住民歌手最優秀賞、原住民語アルバム最優秀賞を受賞し一躍人気者に。2017年に初来日しフジロックフェスティバルでも公演を行っている。
現在は台東の海の近くに家族とともに暮らし、子育てや農業を行いながら創作活動を続けている。
Ilid Kaolo 『長春花フロクスの花』日本小豆島「島Fes」
この歌は台湾原住民ツォウ族出身の高一生(コウ イッセイ)が創作した歌である。原曲は元々日本語で作られていた。高一生は日治時期に日本の教育を受けた原住民エリードでもあり、阿里山の町長を務めたこともある。この歌を作り上げられた背景としては彼は二二八事件の後に無実の罪で当時の国民政府に逮捕され、刑務所に入れられていた際、妻と家族への思いを寄り添うため作られてきたという。家族のそばにいられないので、この歌を通じて、麗しいフロックスの花を阿里山の山々を越えて、妻に捧げたい。
イリー・カオルー Ilid Kaolo〈優雅な女のひと A Graceful Lady〉ONE TAKE LIVE
イリー・カオルー Ilid Kaolo〈17歳のあなた Seventeen〉Official MV
大叔父に会ったことはない。15歳で自分を成人と偽って大阪商船株式会社の船員になったという大叔父は、一通の手紙をよこしたきり行方不明になったらしい。なんとはなしに祖母からその話を聞いたのは、わたしが20歳のときだ。どこにいるのか、生きているのかさえ、家族のなかに知る人はいなかった。
30歳になりその話を思い出したわたしは、祖母のくれた情報を手掛かりにインターネット上を捜索しはじめた。そしてゆっくりと、彼の運命を探し当てた。
太平洋のまん中、サンゴ礁の島のそば、アメリカ軍の爆撃により1944年、彼の船は沈んだ。大叔父、17歳のときである。
イリー・カオルー(Ilid Kaolo, 以莉.高露, イリッ・カオロ)は台湾・花蓮県鳳林鎮の原住民族アミ族(阿美族)の出身。7才から台北で育った。結婚後は夫で音楽家/プロデューサーのチェン・グァンユー(陳冠宇)とともに故郷の花蓮県に移り住み、農業を営む傍ら、母語であるアミ語と中国語で作詞作曲を行っている。ニックネームは「小美(シャオミー)」。
2011年にデビューアルバム『My Carefree Life(輕快的生活)』で台湾の栄誉ある音楽賞、金曲獎で最優秀新人賞、原住民歌手最優秀賞、原住民語アルバム最優秀賞を受賞し一躍人気者に。2017年に初来日しフジロックフェスティバルでも公演を行っている。
現在は台東の海の近くに家族とともに暮らし、子育てや農業を行いながら創作活動を続けている。
Ilid Kaolo 『長春花フロクスの花』日本小豆島「島Fes」
この歌は台湾原住民ツォウ族出身の高一生(コウ イッセイ)が創作した歌である。原曲は元々日本語で作られていた。高一生は日治時期に日本の教育を受けた原住民エリードでもあり、阿里山の町長を務めたこともある。この歌を作り上げられた背景としては彼は二二八事件の後に無実の罪で当時の国民政府に逮捕され、刑務所に入れられていた際、妻と家族への思いを寄り添うため作られてきたという。家族のそばにいられないので、この歌を通じて、麗しいフロックスの花を阿里山の山々を越えて、妻に捧げたい。
イリー・カオルー Ilid Kaolo〈優雅な女のひと A Graceful Lady〉ONE TAKE LIVE
イリー・カオルー Ilid Kaolo〈17歳のあなた Seventeen〉Official MV
大叔父に会ったことはない。15歳で自分を成人と偽って大阪商船株式会社の船員になったという大叔父は、一通の手紙をよこしたきり行方不明になったらしい。なんとはなしに祖母からその話を聞いたのは、わたしが20歳のときだ。どこにいるのか、生きているのかさえ、家族のなかに知る人はいなかった。
30歳になりその話を思い出したわたしは、祖母のくれた情報を手掛かりにインターネット上を捜索しはじめた。そしてゆっくりと、彼の運命を探し当てた。
太平洋のまん中、サンゴ礁の島のそば、アメリカ軍の爆撃により1944年、彼の船は沈んだ。大叔父、17歳のときである。
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