「わかる」ということ 道元禅師は次のような歌を詠んでいる。 聞くままにまた心なき身にしあらば己なりけり軒の玉水 外で雨が降っている。禅師は自分を忘れて、その雨水の音に聞き入っている。このとき自分というものがないから、雨は少しも意識にのぼらない。ところがあるとき、ふと我に返る。その刹那「さっきまで自分は雨だった」と気づく。これが本当の「わかる」という… コメント:0 2025年01月20日 続きを読むread more